先日の連休、助っ人の方々が現れ引っ越しを順々と続けてくれました。長年溜め込んだ「いろいろな物」を捨てられずにいたせいで、とにかく荷物が多すぎるわけで、そうなると、ここでの引っ越しは私のような年寄りでは到底無理だと気付くことになるのです。
そんな時に、2組の援軍でした。ひと組は引っ越しを手伝っていただいて、もうひと組のご婦人は2人して『旅宿 もっきりや』の壁面に、べんがら色のキシリトール塗料を塗ってくれたのでした。
なんという幸運と思いながら、連休が去った今、思い出したようにこの原稿を書き出しました。
このひと月、少しずつ荷物を移動させて、だんだん山のように積み重ねられた私の思い出の書籍や映像を眺めていると、長年のチリや埃にまぎれて、どうもいけません。何だか雑然と散らばって、ほっぽりだされているようで、今日までの月日が何だかとてつもなく馬鹿げて埃くさいように感じてしまいます。
いや80億にも増えた地球上の人間のひとりとして、私などは全く小さなゴミなのですが、それでもそう簡単には納得してはいけないとも、その書籍や額から顔を覗かせているそれらの寂しげな表情を感じます。積み上げられつつある荷物の山を眺めて肩を落として、ため息ばかりついてもいられないわけで、どうにか起死回生の対応をしなくてはいかんと、背を伸ばして荷物の山を眺めるのです。
時代が変わり、秋山郷の姿も変わりますが、ここで暮らした私の歴史は私の中に残さなければなりません。ひとり者のジイさんが寂しさのあまり寝室の壁に所狭しと貼り付けた、死んでしまった兄や親たち、多くの友人の姿や戦地に引っ張り出されて亡くなり、会うことも出来なかった2人の伯父たちの姿に、毎朝声をかけて過ごした日々は、写真の中でホコリまみれになってしまったけれど、若かった頃、感動した演劇のチラシその一つひとつを貼りながら時間の経過と共に増え続けた私の歴史を探しているのです。
だけれども、外されたそれらは25年の間、私を支えたお札のようなものでしかないのだろう。今それらを外しながら自分の身体が、だんだん希薄になっていくようにも感じているのでした。何だか、また生まれた時に戻ってしまって、またゾロ生まれ変わって行く思い出作りのよすがとなって私を助けたり、寂しい時に涙した日々の生活のひとつひとつのシーンを、ホコリと共に思い出して支えられていくのだろうと…感じるのです。
一枚一枚外していったあとの壁に残ったシミが過ぎてきた時間への哀愁になるのでしょう。そんなこんなを、これからここへ来る若い人たちに一言でも伝えていくことが、これからの私の仕事になりそうです。
ただゆっくり時間をかけて降り積もる雪のなかで気持を濾過して、願いまして~はとそろばんを弾いてから『旅宿 もっきりや』を改めて始めるかと感じているのです。
2023年9月23日号
9月30日に魚沼各地で農協臨時総代会が開かれる。来年2月に十日町ほか3農協が合併する、その是非を問う会だ。私が代表を務める十日町・津南地域自治研究所は、農協広域合併には様々な問題があると感じ、「農協の広域合併を考えるシンポジウム」を開催した。その発言については2日付本紙に紹介されている。
シンポ後、たくさんのお声をちょうだいした。その多くが「この合併は組合員のためでなく、農協の都合によるものだ」というものだった。
十日町農協だけではない。なぜ農協は合併したがるのか。それは、経営が行き詰りつつあるからだ。農家の高齢化・減少と農産物の輸入増加によって農業・農家そのものが弱体化し続けている。そこにマイナス金利政策が続き、金融事業を悪化させた。で、合併して「経営基盤の強化」を図ろうというわけだ。
では、合併してどうなるのか。よく言われるのがスケールメリット(規模拡大の利点)である。経営の効率化、コストの削減、生産・販売量の増大などが考えられる。十日町農協は「合併を通じて実現をめざすこと」として、①コシヒカリ・園芸農産物の販売強化、②コスト低減と効率化、③サービスの維持と地域活性化への貢献、の3点を挙げている。
だが、これを本当にどこまでやれるのか。その前に、すでに農業・農家そのものが弱体化している現実に対してどう取り組むのかが見えない。
合併予定の4農協の経常収支のトップは十日町農協。弱いところだけの足し算の結果は、市町村合併を見れば明らかだ。
金融事業が盛り返すあてもない中、農協が生き残るためには、本業である農業関連事業の収益を改善するしかない。ビジョンのない支店の統廃合や職員削減だけの合併では、リストラ→サービス低下→農協離れの悪循環を生むだろう。そして、更なる大合併に突き進むことになるだろう。
組合員を忘れ、農協組織とそこによりかかる人たちを守る広域合併は、財界と政府が望む農協つぶしに手を貸すものだ。
シンポの後段、会場から「問題は今の農政にある。農協も農家も国の農政のいいなりだ。そのことが農協と農業をダメにした」という指摘があった。それは正しいと思う。
ただ、たった今「広域合併をどうする」が問われている。「合併は4年間の議論の結果だ」と言う方もあろうが、少しでも「おかしい」と考える方は声を上げるべきだ。遅すぎることはない。
2023年9月9日号
先日の連休、助っ人の方々が現れ引っ越しを順々と続けてくれました。長年溜め込んだ「いろいろな物」を捨てられずにいたせいで、とにかく荷物が多すぎるわけで、そうなると、ここでの引っ越しは私のような年寄りでは到底無理だと気付くことになるのです。
そんな時に、2組の援軍でした。ひと組は引っ越しを手伝っていただいて、もうひと組のご婦人は2人して『旅宿 もっきりや』の壁面に、べんがら色のキシリトール塗料を塗ってくれたのでした。
なんという幸運と思いながら、連休が去った今、思い出したようにこの原稿を書き出しました。
このひと月、少しずつ荷物を移動させて、だんだん山のように積み重ねられた私の思い出の書籍や映像を眺めていると、長年のチリや埃にまぎれて、どうもいけません。何だか雑然と散らばって、ほっぽりだされているようで、今日までの月日が何だかとてつもなく馬鹿げて埃くさいように感じてしまいます。
いや80億にも増えた地球上の人間のひとりとして、私などは全く小さなゴミなのですが、それでもそう簡単には納得してはいけないとも、その書籍や額から顔を覗かせているそれらの寂しげな表情を感じます。積み上げられつつある荷物の山を眺めて肩を落として、ため息ばかりついてもいられないわけで、どうにか起死回生の対応をしなくてはいかんと、背を伸ばして荷物の山を眺めるのです。
時代が変わり、秋山郷の姿も変わりますが、ここで暮らした私の歴史は私の中に残さなければなりません。ひとり者のジイさんが寂しさのあまり寝室の壁に所狭しと貼り付けた、死んでしまった兄や親たち、多くの友人の姿や戦地に引っ張り出されて亡くなり、会うことも出来なかった2人の伯父たちの姿に、毎朝声をかけて過ごした日々は、写真の中でホコリまみれになってしまったけれど、若かった頃、感動した演劇のチラシその一つひとつを貼りながら時間の経過と共に増え続けた私の歴史を探しているのです。
だけれども、外されたそれらは25年の間、私を支えたお札のようなものでしかないのだろう。今それらを外しながら自分の身体が、だんだん希薄になっていくようにも感じているのでした。何だか、また生まれた時に戻ってしまって、またゾロ生まれ変わって行く思い出作りのよすがとなって私を助けたり、寂しい時に涙した日々の生活のひとつひとつのシーンを、ホコリと共に思い出して支えられていくのだろうと…感じるのです。
一枚一枚外していったあとの壁に残ったシミが過ぎてきた時間への哀愁になるのでしょう。そんなこんなを、これからここへ来る若い人たちに一言でも伝えていくことが、これからの私の仕事になりそうです。
ただゆっくり時間をかけて降り積もる雪のなかで気持を濾過して、願いまして~はとそろばんを弾いてから『旅宿 もっきりや』を改めて始めるかと感じているのです。
2023年9月23日号
9月30日に魚沼各地で農協臨時総代会が開かれる。来年2月に十日町ほか3農協が合併する、その是非を問う会だ。私が代表を務める十日町・津南地域自治研究所は、農協広域合併には様々な問題があると感じ、「農協の広域合併を考えるシンポジウム」を開催した。その発言については2日付本紙に紹介されている。
シンポ後、たくさんのお声をちょうだいした。その多くが「この合併は組合員のためでなく、農協の都合によるものだ」というものだった。
十日町農協だけではない。なぜ農協は合併したがるのか。それは、経営が行き詰りつつあるからだ。農家の高齢化・減少と農産物の輸入増加によって農業・農家そのものが弱体化し続けている。そこにマイナス金利政策が続き、金融事業を悪化させた。で、合併して「経営基盤の強化」を図ろうというわけだ。
では、合併してどうなるのか。よく言われるのがスケールメリット(規模拡大の利点)である。経営の効率化、コストの削減、生産・販売量の増大などが考えられる。十日町農協は「合併を通じて実現をめざすこと」として、①コシヒカリ・園芸農産物の販売強化、②コスト低減と効率化、③サービスの維持と地域活性化への貢献、の3点を挙げている。
だが、これを本当にどこまでやれるのか。その前に、すでに農業・農家そのものが弱体化している現実に対してどう取り組むのかが見えない。
合併予定の4農協の経常収支のトップは十日町農協。弱いところだけの足し算の結果は、市町村合併を見れば明らかだ。
金融事業が盛り返すあてもない中、農協が生き残るためには、本業である農業関連事業の収益を改善するしかない。ビジョンのない支店の統廃合や職員削減だけの合併では、リストラ→サービス低下→農協離れの悪循環を生むだろう。そして、更なる大合併に突き進むことになるだろう。
組合員を忘れ、農協組織とそこによりかかる人たちを守る広域合併は、財界と政府が望む農協つぶしに手を貸すものだ。
シンポの後段、会場から「問題は今の農政にある。農協も農家も国の農政のいいなりだ。そのことが農協と農業をダメにした」という指摘があった。それは正しいと思う。
ただ、たった今「広域合併をどうする」が問われている。「合併は4年間の議論の結果だ」と言う方もあろうが、少しでも「おかしい」と考える方は声を上げるべきだ。遅すぎることはない。
2023年9月9日号