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妻有新聞掲載記事一覧

  • 白根の「梨」栽培、津南企業が後押し

    旭商事の果樹園・旭ファーム

    耕作放棄地を継承・拡大、中村兄弟の挑戦

     「故郷の果樹園を守りながら、全国に喜ばれる旬のナシ(梨)を作りたい」。津南町の卸売会社・旭商事(藤ノ木正人社長)が所有する新潟・白根生まれの果樹園「旭ファーム」(新潟市南区大郷)を運営する中村孝志さん(38)、大志(だいし、29)さん兄弟は、日に焼けて真っ黒な顔から白い歯を見せた。来月11日は旭ファームで行う初めての梨狩りツアーがあり「収穫したての梨を味わってほしい」と出迎えるつもりだ。

    2024年8月24日号

  • 「戻ってきて良かった。これが実感。家族のおかげ」

    綱 大介さん(1982年生まれ)

     暮らす地を転々と動き、たどり着いたのは生まれた地だった。十日町市下条・上新田の三代続く専業農家を継いだ綱大介さん(42)。結婚17年のパートナーで農業初心者ながら次々とアイデアを創出する優子さん(39)と「ツナファーム」を3年前に立上げ、家族営農で水田10㌶で魚沼産コシヒカリや新之助などを栽培し、20㌃でサツマイモを営農する。「いつかは…と思っていました。決断できたのは妻のおかげですね」。

     高校進学から地元を離れ柏崎市・新潟産業付属高校で学ぶ。卒業後、堀之内で土木業や小千谷市の山田鉄筋で業務をし、ひなの宿ちとせ旅館では仲居業など、多種多様な業務を経験。18年前、高校の友人紹介で柏崎市出身の優子さんと出会う。「出会った頃は突き放されていたので逆に燃えましたね」。大介さんの猛アタックで2007年10月に結婚。ふたりで話し、「ちょっと雪から離れた所で暮らしたい」と静岡・浜松市へ転居。この地で長女を授かり、2年間ほど暮らす。雪のない地での暮らしの中で、「なんとなくなんですが…十日町に帰った方がいいのかなぁ…と思ったんですが…」。次の転居先は十日町を通り越した新潟市だった。その地で電気関係業で働きながら4年ほど暮らす。
     それは、突然やって来た。
     「父の腰の具合が悪いって母から電話がありました。そろそろ帰るか…でしたね。6年間の長い新婚旅行でした」。2014年、生まれた地、下条上新田に帰った。いつかは…と考えていた農業と向き合う日々が始まる。
     やるからにはと、両親の元で農業を学び3年前夫婦で継ぎ「ツナファーム」と名付けた。水稲を主体に魚沼コシヒカリ、新之助などブランド米を手がけ、需要が多いこがねもちも生産。さらにサツマイモなど野菜栽培にも家族で取り組む。
     農業初心者の優子さんの農業への関心の高さが大介さんのやる気を倍増させている。「お米ってこんな風にできているんだと喜び、こんな美味しいお米を食べたのは初めて、と言ってくれて嬉しかったですね」。
     優子さんの新鮮な感度が営農にも大いに役立っている。ツナファームの農産物でネット販売に乗り出し、事業名刺も作成し、交友関係を広げている。「自分だけだったら、これまで通りの農業だったでしょうね。ネット販売など思いつかなかったし、ネット購入の消費者から生の声も聞けて、大きな励みになっています。新しい視点での農業になり、妻には本当に感謝です」。

     家族営農のツナファーム。小学、高校生の娘3人の存在が、新たな交友関係を広げている。「自分が小さい頃に参加していた子ども会キャンプなど、今度は自分が運営する側になって、なんだか不思議な感じですね。地域の大切なつながりになり、地域で子どもたちを育てるという、ありがたみを感じますね」。 下条小でサツマイモや米づくりなどを教え、市内で開設の子ども食堂にもいち早く関わり、米など地元食材を提供している。「子どもが喜んでくれる姿を見ると嬉しくなりますね」。

     雪を嫌って県外に転居したが、いまは雪の恵みを感じている。美味い米、野菜ができるのも雪のおかげと。冬期間はガーラ湯沢に勤務。「あんなに雪が嫌だと思っていたのに、我が子のスキー授業に合わせ、スノーボードを始めました。ボードも買っちゃって、いまでは家族で雪が待ち遠しいくらいです」。さらに「雪のおかげで、美味しいお米もでき、雪があるからこその農業だと感謝しています」。
     暮らす地を転々としながら見つけ出した『ふるさとの良さ』。「戻ってきて良かった、これが実感ですね。妻のおかげ、子どもたちのおかげ、それに家族同然の愛犬まめたのおかげですね」。

    ▼バトンタッチします
     ウォルフガング・ギル さん

    2024年8月24日号

  • 食後8時間後、歯にプラークが

    30歳以上の成人の約80%が歯周病に

    Vol 104

     「1㍉㌘中におよそ400~700種類、10億~1000億以上の細菌が存在して、あなたの健康を損なう危険性を作ります」。これは何を説明していると思いますか?
     これは「プラーク」のことです。あなたの口の中に残った食べカスは食後8時間もすると、細菌が繁殖して歯の表面にまるでラップをかけたようにへばりつきプラークになります。プラークがへばりついてしまうと、うがい薬やマウスウォッシュではプラークの内部まで浸透することはできず、歯間ブラシや歯ブラシによって物理的にはがすしか手がありません。
     さらに2014年にライオン㈱が行った調査によると、歯磨きなどで磨き残したプラークは一般に7割もあるといわれています。
     プラークが石灰化してできる硬い塊が「歯石」。歯石になったプラークの中の細菌はだんだん数が増え、しかも歯石の中は酸素が少ないために酸素を嫌って育つ嫌気性菌が増えていきます。そこで増えた嫌気性菌が作り出す毒素によって、歯を支えている骨がダメージを受け、溶けてなくなっていくのが歯周病です。そして嫌気性菌が発生するガスが口臭になります。
     私は乳歯から永久歯に生え変わる時に上の歯が前歯2本以外しばらく生えてこず、ビーバーのようでした。あまりに長い間生えてこないので口腔外科を受診して手術をし、そこから5年近く歯科矯正をしました。今から30年以上前、歯科矯正は保険ではできなかったため、相当なお金を親は私の歯にかけてくれていたのだと思います。
     なので、歯は一生大事にしようと思い、とても大事にしていたつもりでした。でも、歯科矯正を終えてからは虫歯もできず歯のことで不具合が無かったために歯医者には通っていませんでした。
     娘が生まれて3歳半健診。なんと健診の中に親子歯科検診があり、そこで「歯石がたまっている! 歯石は歯周病の原因ですからね!」とその時の担当の先生に厳しく言われて背中がゾーッとし、慌てて歯科に駆け込みました。なぜ、ゾーッとしたかというと、このまま放っておくとお金を賭けた歯が無くなってしまうかもという恐怖と、歯周病になれば様々な健康被害が出ることを知っていたからです。
     厚生労働省の平成23年歯科疾患実態調査によると、30歳以上の成人の約80%が歯周病になっているともいわれています。歯周病は「サイレントディジーズ:静かなる病気」ともいわれ、重症化するまでは自覚症状がないまま慢性的な炎症が持続します。
     炎症が持続することにより、全身にさまざまな影響を与えることが分かっています。たとえば、糖尿病、メタボリックシンドローム、自己免疫疾患、誤嚥性肺炎、心筋梗塞・動脈硬化、早産・低出生体重児、アルツハイマー病、がん、などです。 歯周病を治療すると、これらの疾患が改善するというのはよく知られた話です。もしかして、と思
    われる方はまず口腔ケアをおすすめします。ということで、次回はもう少し歯周病について深堀していきます。女性ホルモンと歯周病も大いに関係があることもお伝えしますね。お楽しみに!
     (たかき医院・仲栄美 子院長)

    2024年8月24日号

  • 清津峡アート作品も泥んこに?

    清津峡流域に堰堤計画

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     清津川流域では、台風のたびに上流の電源開発二居ダムの放流と降雨量が相まって、下流集落の川沿いの家は自主避難する。この増水濁流の流れを変えるため? 湯沢砂防事務所は集落周辺の護岸床固と本流にスリットが入った堰堤をセットで造る計画を進めている。
    スリットが入ったダムや穴あきダムは近年全国で多く造られて、堆砂しない流水型構造物とされているが本当にそうなのか? つくば市の日本工営には30分の1の清津川の模型が作られていて、そこに砂と水を流して実験し、「この通り集落のあるところは水流が変わって安全になる」と言う説明だが、私は堰堤より上流の土砂の堆砂が多くなることを懸念している。 
     清津川はすさまじく土砂供給量が多い川だからだ。この欄でも以前書いたが湯沢の山中、東電の取水施設がある清津川上流では、旧建設省が造った堰堤の上流1・5㌔に渡り砂利が溜まり河原砂漠になっている。
     そのため河床が上がり山脚が削られて、今ではテトラポットを並べたり、蛇篭でピラミッドを造ったりして山崩れを押さえざるを得ない。東電の取水ダムも深く砂利に埋まっている。
     川の流れを止めるものを造ると、それより上流はたちまち砂利で埋まる。溜まるのは砂利だけではい。写真①は山形県庄内市の土内川砂防ダムだが、溜まった泥の悪臭で住民が楽しみにしていた芋煮会ができなくなったそうだ。県はダムにスリットを切ったが悪臭はほとんど改善されず水が淀んでいる。上流には景勝地があったが埋まって価値が損なわれたということ。
     次の写真②は先月の山形水害直後の小国川ダム(流水型穴あきタイプ)のものだが、水が穴に押し寄せ、水圧が高くなり流木や木の葉を吸い寄せて詰まり、そのため上流部で膨らんだ水で被害が出ている。堰堤があるために流速が落ちるので、普通は溜まらない細かな泥が道路を埋めている(写真③)。
     人が考えるように都合よく川は流れてくれない。清津川にスリット堰堤を造ると同じように上流は河床が上がり、市の大切な収入源になっているアート作品も泥んこになるのかなと思っている。
     清津峡は国立公園特別地域に指定されていて、自然公園法20条では「河川、湖沼等の水位又は水量に増減を及ぼさせること」をするときは環境大臣の許可が必要になる。
     たとえ堰堤の位置が国立公園外でもそれを造ることで、今までなかった影響が特別地域に及ぶ可能性があるなら湯沢砂防事務所は一考しなければならない。(実際、私たち住民は建物の色や材質、自動販売機の色まで細かな制約を受けていて、そうして風致を守っているのだから)。この問題、また続報を書こう。

    2024年8月24日号

  • 高野山ルート

    小林 幸一(津南案内人)

     苗場山麓ジオパークのガイド仲間から、高野山の砂利道で鉄道のレールを見つけたということで、早速調査に出かけました。場所は穴藤から巻揚機で高野山に上がって調整池に向かう途中の作業道の脇で、捻じ曲げられた状態で一部は地面に埋もれていました。鉄が貴重だった戦中にレールが供出されずに残っていたのは奇跡です。
     高野山には大規模なダム工事もあり、巻揚からダム現場、そこから前倉トド(結東原)までの軌道跡は、地形的に現在の道路とほぼ同じルートを通ったものと思われます。
     此処で分からないのが亀岡あたりから高野山に上がったルートです。古い地図には加用から百ノ木あたりから巻揚機があり、横根を通って高野山に上がったようですが、そこが何処なのか? また志久見川ルートに電車または汽車が実際走ったのか? 志久見川沿いの方より情報をお待ちしております。

    2024年8月24日号

  • 「ごちそうは、このゆったり時間」

    『おいしい旅つばめ至る』の渡部美幸さん

     「ごちそうは、このゆったり時間と食・人・自然、丸ごとの十日町市です」。千葉船橋と十日町市の2拠点生活による視野の広さを生かし、旅行業資格を取得後、自身の体験をもとにオリジナル旅プランを提供する渡部美幸さん(38)。開催中の大地の芸術祭ツアーでは学芸員が同行する独自プランを企画。その旅行会社『おいしい旅つばめ至る(きたる)』の看板を掲げる。

    2024年8月24日号

  • 地域経済を牽引する企業育成を

     地域経済の低迷が続く。元気のなさが地元商店街や観光誘客の温泉施設などに見られる。シャッター通り化が進む十日町市本町通りと津南町中央商店街。深刻度は空き家問題と共に大きな地域課題になっている。
     「民間企業が元気な時代は、空き店舗や閉館した観光施設を受け継ぎ、地域を元気にしたものだ」。経済成長期の時代を知る世代から聞こえる声だ。きもの産業の隆盛期は、地元企業主導の地域づくりだった。だが、その勢いが鈍り出した頃から行政による「まちづくり」が台頭し、国・県・市町村という繋がりの補助金まちづくりが急増。その流れは今も続くが、その活動財源は我々住民が納めた税である。これでは真の元気は出ないし、「枠をはみ出す」熱きエネルギーは育たない。
     気になる存在の一つ、津南町の日帰り温泉施設「竜ヶ窪温泉・龍神の館」。昨年9月閉館後、再開の動きは見えない。だが国道117号の観光案内板には、方向矢印と共に竜ヶ窪温泉は明記され、休館中の表記もない。このお盆期間中、「ひまわり広場」へ行き、竜ヶ窪温泉に向かい「閉館」で引き返した人は多い。なにもメッセージがない取り組み不足、対応の鈍さはそのまま元気のなさに通じる。地元で経営者募集の動きがあるが具体化していない。
     集客スポットの拠点の閑散さは、地域経済のバロメーターでもある。地域の民間企業、そこにリーディング・カンパニーが育っていれば、見える地域経済の景色は変ってくるだろう。行政のまちづくり、その要は賑わい空間創出と共に地域経済のテコ入れ。「特定の企業支援はできない」と行政は言うが、企業を育てることは人材を育てること、地域納税を増やすこと、牽引する企業の存在が地域の元気印になる。
     2024年度も早や半期。農業産業が基盤なら、それも地域経済。強いテコ入れ、これも待ったなしだ。

    2024年8月24日号

  • 「訴訟は避けたい」、合意模索

    新潟市と損害賠償額折り合わず

    大地の芸術祭作品破損から2年

     「できればしっかり合意していきたい。市と市の間の訴訟は避けたいと思っている」。2年前、修学旅行中の新潟市の中学生が大地の芸術祭作品を破損した問題で、新潟市と協議が未だ続いている現状だが、関口芳史市長は両市合意での解決を望んでいる姿勢を改めて示している。今月5日の定例会見で本紙の質問に答えた。

    2024年8月17日号

  • JBS・牧田社長「チャレンジすべき」

    妻有の四十路会 記念講演会

    「好きを大切に」とデザイナー・杉浦氏

     「地域に少しでも恩返しを」―。毎年、十日町市で行っている「四十路会」。今期の実行委員会(里見翔委員長)は、育ててくれた地域に感謝と恩返しをと、テーマを価値の見出し方とし、記念講演会を11日、越後妻有文化ホール段十ろうで開催。松代出身で売上高1100億円余、社員2500人余の日本ビジネスシステムズ(JBS)の牧田幸弘社長、3年前に十日町移住し着物リメイク商品など手がけるMitsuyoshi Design Studioの杉浦充宜代表の2講師を招き、一般開放の特別講演会を行った。里見委員長は「四十路会は地域の先輩が始めたもの。少しでも自分たちを育ててくれた地域に恩返しできるよう講演会を企画した。価値の創造はいつでも重要なテーマ。挑戦し続ける方の話が、新しい気付きに繋がれば」と話している。

    2024年8月17日号

  • 「大好きなミシンで大好きな犬の服を」

    山田 由美子さん(1967年生まれ)

     「なにがしてやん? っ
    てよく周りから言われるんです」。笑いながら話す『だいにんぐ遊らく』の女将で、『刺しゅうミシン工房8.(エイト・ドット)』を営む山田由美子さん(57)。幼少期、祖母から編み物を教わり、「編み物や手芸は生活の一部。自然と好きになりました。だから高校も家政科のある小千谷西高校を選びました」。
     夏休みには、婦人服のサンプルや芸能人の衣装を外注制作している関東在住の叔父・叔母の元で生地の裁断からミシン縫製で洋服ができる過程を学んだ。「縫うっていいな。芸能人が着るような服を作りたい」と、縫製の道を選んだ。

     「縫製工場の仕事をしながら文化服装学院で洋服を学べる道を選びました。でも工場は流れ作業で面白くなかったんです。やっぱり一から洋服を縫い上げたかった」と退職。洋服サンプル縫製会社に入り、芸能人やファッションショーで着るような服のサンプルを作った。
     「当初は思い通り縫えず怒られてばかりでしたが、作ることが楽しくて、朝から晩までミシンと向き合っていました。アフターファイブなんてなかったです」。
     その頃、同じく十日町市出身で都内で働いていた中学の同級生、山田健一さんと再会し結婚。「子どもを授かった頃、料理人の主人も十日町からオファーがあって、帰りたくなかったけど、いつか東京に戻ってくるぞと思い、十日町に帰ってきました」。工業用ミシンやアイロンと共に帰省。勤めていた会社から外注を受け、「子どもはミシンの音をきいて眠っていましたね。お腹の中にいた時から聞いていたからかな」。しかし、ネット社会になり、外注で仕事をするのが難しく働きに出た。
     健一さんの独立に合わせ由美子さんと共に二人三脚の日々が始まった。「趣味でミシンは触っていましたがオープン当初は忙しくて、子育てややらなきゃいけないことがありすぎてミシンは一度『封印』しました」。
     ミシン『封印』を解いたのはコロナ禍の最中。「コロナで店が暇になり、昼間の時間帯に遊休時間が生まれ自分にできるミシンで何か仕事ができないか」と健一さんに話したが、ミシンで商売することになかなか首を縦に振ってくれなかった。「他ではあまりやってない刺繍を取り入れたらどうだろうって言ったら、縦に振ってくれましたね」。
     刺繡をバッグなどに縫い入れたり、刺繍アクセサリーを作り初めて長岡の大きなイベントに出店。「自信を持って行ったのに、初めての参加でもあって思ったほど手に取ってもらえませんでした。ただ、隣の人が私の作品を見て犬のイベントで出してみたら?って言ってくれたんです」。由美子さんは犬が好きで愛犬『太(うず)』、『雪(ゆき)』がいる。その日の作品にもバッグに犬の刺繍ワッペンなどを施していた。「心折れたけどいいアドバイスがもらえて収穫のある出店でした」。
     その後、犬のイベントに出店。「求めてくれる人が居てリピーターも今
    はできています。直接対面で大好きな犬に触れながら販売できるので嬉しいですね」。さらに「犬服やグッズをイベントで販売。オーダー希望のお客様には名前刺繍や、うちの子ワッペン、セミオーダー服などを受注制作しています」。
     由美子さんは『だいにんぐ遊らく』の女将も務めながら刺繡業やイベント、とおか市にも出店し日々忙しい。「ゆっくり好きな事をして暮らしたいと思っていたのに、逆に忙しくなってしまいました。常に動いていたいんでしょうね。やりたいことがありすぎて何がしてやんって言われます。大きな夢は十日町にないドッグラン&カフェ併設のミシン工房作りかな」。

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     綱大介さん

    2024年8月17日号

  • 白根の「梨」栽培、津南企業が後押し

    旭商事の果樹園・旭ファーム

    耕作放棄地を継承・拡大、中村兄弟の挑戦

     「故郷の果樹園を守りながら、全国に喜ばれる旬のナシ(梨)を作りたい」。津南町の卸売会社・旭商事(藤ノ木正人社長)が所有する新潟・白根生まれの果樹園「旭ファーム」(新潟市南区大郷)を運営する中村孝志さん(38)、大志(だいし、29)さん兄弟は、日に焼けて真っ黒な顔から白い歯を見せた。来月11日は旭ファームで行う初めての梨狩りツアーがあり「収穫したての梨を味わってほしい」と出迎えるつもりだ。

    2024年8月24日号

  • 「戻ってきて良かった。これが実感。家族のおかげ」

    綱 大介さん(1982年生まれ)

     暮らす地を転々と動き、たどり着いたのは生まれた地だった。十日町市下条・上新田の三代続く専業農家を継いだ綱大介さん(42)。結婚17年のパートナーで農業初心者ながら次々とアイデアを創出する優子さん(39)と「ツナファーム」を3年前に立上げ、家族営農で水田10㌶で魚沼産コシヒカリや新之助などを栽培し、20㌃でサツマイモを営農する。「いつかは…と思っていました。決断できたのは妻のおかげですね」。

     高校進学から地元を離れ柏崎市・新潟産業付属高校で学ぶ。卒業後、堀之内で土木業や小千谷市の山田鉄筋で業務をし、ひなの宿ちとせ旅館では仲居業など、多種多様な業務を経験。18年前、高校の友人紹介で柏崎市出身の優子さんと出会う。「出会った頃は突き放されていたので逆に燃えましたね」。大介さんの猛アタックで2007年10月に結婚。ふたりで話し、「ちょっと雪から離れた所で暮らしたい」と静岡・浜松市へ転居。この地で長女を授かり、2年間ほど暮らす。雪のない地での暮らしの中で、「なんとなくなんですが…十日町に帰った方がいいのかなぁ…と思ったんですが…」。次の転居先は十日町を通り越した新潟市だった。その地で電気関係業で働きながら4年ほど暮らす。
     それは、突然やって来た。
     「父の腰の具合が悪いって母から電話がありました。そろそろ帰るか…でしたね。6年間の長い新婚旅行でした」。2014年、生まれた地、下条上新田に帰った。いつかは…と考えていた農業と向き合う日々が始まる。
     やるからにはと、両親の元で農業を学び3年前夫婦で継ぎ「ツナファーム」と名付けた。水稲を主体に魚沼コシヒカリ、新之助などブランド米を手がけ、需要が多いこがねもちも生産。さらにサツマイモなど野菜栽培にも家族で取り組む。
     農業初心者の優子さんの農業への関心の高さが大介さんのやる気を倍増させている。「お米ってこんな風にできているんだと喜び、こんな美味しいお米を食べたのは初めて、と言ってくれて嬉しかったですね」。
     優子さんの新鮮な感度が営農にも大いに役立っている。ツナファームの農産物でネット販売に乗り出し、事業名刺も作成し、交友関係を広げている。「自分だけだったら、これまで通りの農業だったでしょうね。ネット販売など思いつかなかったし、ネット購入の消費者から生の声も聞けて、大きな励みになっています。新しい視点での農業になり、妻には本当に感謝です」。

     家族営農のツナファーム。小学、高校生の娘3人の存在が、新たな交友関係を広げている。「自分が小さい頃に参加していた子ども会キャンプなど、今度は自分が運営する側になって、なんだか不思議な感じですね。地域の大切なつながりになり、地域で子どもたちを育てるという、ありがたみを感じますね」。 下条小でサツマイモや米づくりなどを教え、市内で開設の子ども食堂にもいち早く関わり、米など地元食材を提供している。「子どもが喜んでくれる姿を見ると嬉しくなりますね」。

     雪を嫌って県外に転居したが、いまは雪の恵みを感じている。美味い米、野菜ができるのも雪のおかげと。冬期間はガーラ湯沢に勤務。「あんなに雪が嫌だと思っていたのに、我が子のスキー授業に合わせ、スノーボードを始めました。ボードも買っちゃって、いまでは家族で雪が待ち遠しいくらいです」。さらに「雪のおかげで、美味しいお米もでき、雪があるからこその農業だと感謝しています」。
     暮らす地を転々としながら見つけ出した『ふるさとの良さ』。「戻ってきて良かった、これが実感ですね。妻のおかげ、子どもたちのおかげ、それに家族同然の愛犬まめたのおかげですね」。

    ▼バトンタッチします
     ウォルフガング・ギル さん

    2024年8月24日号

  • 食後8時間後、歯にプラークが

    30歳以上の成人の約80%が歯周病に

    Vol 104

     「1㍉㌘中におよそ400~700種類、10億~1000億以上の細菌が存在して、あなたの健康を損なう危険性を作ります」。これは何を説明していると思いますか?
     これは「プラーク」のことです。あなたの口の中に残った食べカスは食後8時間もすると、細菌が繁殖して歯の表面にまるでラップをかけたようにへばりつきプラークになります。プラークがへばりついてしまうと、うがい薬やマウスウォッシュではプラークの内部まで浸透することはできず、歯間ブラシや歯ブラシによって物理的にはがすしか手がありません。
     さらに2014年にライオン㈱が行った調査によると、歯磨きなどで磨き残したプラークは一般に7割もあるといわれています。
     プラークが石灰化してできる硬い塊が「歯石」。歯石になったプラークの中の細菌はだんだん数が増え、しかも歯石の中は酸素が少ないために酸素を嫌って育つ嫌気性菌が増えていきます。そこで増えた嫌気性菌が作り出す毒素によって、歯を支えている骨がダメージを受け、溶けてなくなっていくのが歯周病です。そして嫌気性菌が発生するガスが口臭になります。
     私は乳歯から永久歯に生え変わる時に上の歯が前歯2本以外しばらく生えてこず、ビーバーのようでした。あまりに長い間生えてこないので口腔外科を受診して手術をし、そこから5年近く歯科矯正をしました。今から30年以上前、歯科矯正は保険ではできなかったため、相当なお金を親は私の歯にかけてくれていたのだと思います。
     なので、歯は一生大事にしようと思い、とても大事にしていたつもりでした。でも、歯科矯正を終えてからは虫歯もできず歯のことで不具合が無かったために歯医者には通っていませんでした。
     娘が生まれて3歳半健診。なんと健診の中に親子歯科検診があり、そこで「歯石がたまっている! 歯石は歯周病の原因ですからね!」とその時の担当の先生に厳しく言われて背中がゾーッとし、慌てて歯科に駆け込みました。なぜ、ゾーッとしたかというと、このまま放っておくとお金を賭けた歯が無くなってしまうかもという恐怖と、歯周病になれば様々な健康被害が出ることを知っていたからです。
     厚生労働省の平成23年歯科疾患実態調査によると、30歳以上の成人の約80%が歯周病になっているともいわれています。歯周病は「サイレントディジーズ:静かなる病気」ともいわれ、重症化するまでは自覚症状がないまま慢性的な炎症が持続します。
     炎症が持続することにより、全身にさまざまな影響を与えることが分かっています。たとえば、糖尿病、メタボリックシンドローム、自己免疫疾患、誤嚥性肺炎、心筋梗塞・動脈硬化、早産・低出生体重児、アルツハイマー病、がん、などです。 歯周病を治療すると、これらの疾患が改善するというのはよく知られた話です。もしかして、と思
    われる方はまず口腔ケアをおすすめします。ということで、次回はもう少し歯周病について深堀していきます。女性ホルモンと歯周病も大いに関係があることもお伝えしますね。お楽しみに!
     (たかき医院・仲栄美 子院長)

    2024年8月24日号

  • 清津峡アート作品も泥んこに?

    清津峡流域に堰堤計画

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     清津川流域では、台風のたびに上流の電源開発二居ダムの放流と降雨量が相まって、下流集落の川沿いの家は自主避難する。この増水濁流の流れを変えるため? 湯沢砂防事務所は集落周辺の護岸床固と本流にスリットが入った堰堤をセットで造る計画を進めている。
    スリットが入ったダムや穴あきダムは近年全国で多く造られて、堆砂しない流水型構造物とされているが本当にそうなのか? つくば市の日本工営には30分の1の清津川の模型が作られていて、そこに砂と水を流して実験し、「この通り集落のあるところは水流が変わって安全になる」と言う説明だが、私は堰堤より上流の土砂の堆砂が多くなることを懸念している。 
     清津川はすさまじく土砂供給量が多い川だからだ。この欄でも以前書いたが湯沢の山中、東電の取水施設がある清津川上流では、旧建設省が造った堰堤の上流1・5㌔に渡り砂利が溜まり河原砂漠になっている。
     そのため河床が上がり山脚が削られて、今ではテトラポットを並べたり、蛇篭でピラミッドを造ったりして山崩れを押さえざるを得ない。東電の取水ダムも深く砂利に埋まっている。
     川の流れを止めるものを造ると、それより上流はたちまち砂利で埋まる。溜まるのは砂利だけではい。写真①は山形県庄内市の土内川砂防ダムだが、溜まった泥の悪臭で住民が楽しみにしていた芋煮会ができなくなったそうだ。県はダムにスリットを切ったが悪臭はほとんど改善されず水が淀んでいる。上流には景勝地があったが埋まって価値が損なわれたということ。
     次の写真②は先月の山形水害直後の小国川ダム(流水型穴あきタイプ)のものだが、水が穴に押し寄せ、水圧が高くなり流木や木の葉を吸い寄せて詰まり、そのため上流部で膨らんだ水で被害が出ている。堰堤があるために流速が落ちるので、普通は溜まらない細かな泥が道路を埋めている(写真③)。
     人が考えるように都合よく川は流れてくれない。清津川にスリット堰堤を造ると同じように上流は河床が上がり、市の大切な収入源になっているアート作品も泥んこになるのかなと思っている。
     清津峡は国立公園特別地域に指定されていて、自然公園法20条では「河川、湖沼等の水位又は水量に増減を及ぼさせること」をするときは環境大臣の許可が必要になる。
     たとえ堰堤の位置が国立公園外でもそれを造ることで、今までなかった影響が特別地域に及ぶ可能性があるなら湯沢砂防事務所は一考しなければならない。(実際、私たち住民は建物の色や材質、自動販売機の色まで細かな制約を受けていて、そうして風致を守っているのだから)。この問題、また続報を書こう。

    2024年8月24日号

  • 高野山ルート

    小林 幸一(津南案内人)

     苗場山麓ジオパークのガイド仲間から、高野山の砂利道で鉄道のレールを見つけたということで、早速調査に出かけました。場所は穴藤から巻揚機で高野山に上がって調整池に向かう途中の作業道の脇で、捻じ曲げられた状態で一部は地面に埋もれていました。鉄が貴重だった戦中にレールが供出されずに残っていたのは奇跡です。
     高野山には大規模なダム工事もあり、巻揚からダム現場、そこから前倉トド(結東原)までの軌道跡は、地形的に現在の道路とほぼ同じルートを通ったものと思われます。
     此処で分からないのが亀岡あたりから高野山に上がったルートです。古い地図には加用から百ノ木あたりから巻揚機があり、横根を通って高野山に上がったようですが、そこが何処なのか? また志久見川ルートに電車または汽車が実際走ったのか? 志久見川沿いの方より情報をお待ちしております。

    2024年8月24日号

  • 「ごちそうは、このゆったり時間」

    『おいしい旅つばめ至る』の渡部美幸さん

     「ごちそうは、このゆったり時間と食・人・自然、丸ごとの十日町市です」。千葉船橋と十日町市の2拠点生活による視野の広さを生かし、旅行業資格を取得後、自身の体験をもとにオリジナル旅プランを提供する渡部美幸さん(38)。開催中の大地の芸術祭ツアーでは学芸員が同行する独自プランを企画。その旅行会社『おいしい旅つばめ至る(きたる)』の看板を掲げる。

    2024年8月24日号

  • 地域経済を牽引する企業育成を

     地域経済の低迷が続く。元気のなさが地元商店街や観光誘客の温泉施設などに見られる。シャッター通り化が進む十日町市本町通りと津南町中央商店街。深刻度は空き家問題と共に大きな地域課題になっている。
     「民間企業が元気な時代は、空き店舗や閉館した観光施設を受け継ぎ、地域を元気にしたものだ」。経済成長期の時代を知る世代から聞こえる声だ。きもの産業の隆盛期は、地元企業主導の地域づくりだった。だが、その勢いが鈍り出した頃から行政による「まちづくり」が台頭し、国・県・市町村という繋がりの補助金まちづくりが急増。その流れは今も続くが、その活動財源は我々住民が納めた税である。これでは真の元気は出ないし、「枠をはみ出す」熱きエネルギーは育たない。
     気になる存在の一つ、津南町の日帰り温泉施設「竜ヶ窪温泉・龍神の館」。昨年9月閉館後、再開の動きは見えない。だが国道117号の観光案内板には、方向矢印と共に竜ヶ窪温泉は明記され、休館中の表記もない。このお盆期間中、「ひまわり広場」へ行き、竜ヶ窪温泉に向かい「閉館」で引き返した人は多い。なにもメッセージがない取り組み不足、対応の鈍さはそのまま元気のなさに通じる。地元で経営者募集の動きがあるが具体化していない。
     集客スポットの拠点の閑散さは、地域経済のバロメーターでもある。地域の民間企業、そこにリーディング・カンパニーが育っていれば、見える地域経済の景色は変ってくるだろう。行政のまちづくり、その要は賑わい空間創出と共に地域経済のテコ入れ。「特定の企業支援はできない」と行政は言うが、企業を育てることは人材を育てること、地域納税を増やすこと、牽引する企業の存在が地域の元気印になる。
     2024年度も早や半期。農業産業が基盤なら、それも地域経済。強いテコ入れ、これも待ったなしだ。

    2024年8月24日号

  • 「訴訟は避けたい」、合意模索

    新潟市と損害賠償額折り合わず

    大地の芸術祭作品破損から2年

     「できればしっかり合意していきたい。市と市の間の訴訟は避けたいと思っている」。2年前、修学旅行中の新潟市の中学生が大地の芸術祭作品を破損した問題で、新潟市と協議が未だ続いている現状だが、関口芳史市長は両市合意での解決を望んでいる姿勢を改めて示している。今月5日の定例会見で本紙の質問に答えた。

    2024年8月17日号

  • JBS・牧田社長「チャレンジすべき」

    妻有の四十路会 記念講演会

    「好きを大切に」とデザイナー・杉浦氏

     「地域に少しでも恩返しを」―。毎年、十日町市で行っている「四十路会」。今期の実行委員会(里見翔委員長)は、育ててくれた地域に感謝と恩返しをと、テーマを価値の見出し方とし、記念講演会を11日、越後妻有文化ホール段十ろうで開催。松代出身で売上高1100億円余、社員2500人余の日本ビジネスシステムズ(JBS)の牧田幸弘社長、3年前に十日町移住し着物リメイク商品など手がけるMitsuyoshi Design Studioの杉浦充宜代表の2講師を招き、一般開放の特別講演会を行った。里見委員長は「四十路会は地域の先輩が始めたもの。少しでも自分たちを育ててくれた地域に恩返しできるよう講演会を企画した。価値の創造はいつでも重要なテーマ。挑戦し続ける方の話が、新しい気付きに繋がれば」と話している。

    2024年8月17日号

  • 「大好きなミシンで大好きな犬の服を」

    山田 由美子さん(1967年生まれ)

     「なにがしてやん? っ
    てよく周りから言われるんです」。笑いながら話す『だいにんぐ遊らく』の女将で、『刺しゅうミシン工房8.(エイト・ドット)』を営む山田由美子さん(57)。幼少期、祖母から編み物を教わり、「編み物や手芸は生活の一部。自然と好きになりました。だから高校も家政科のある小千谷西高校を選びました」。
     夏休みには、婦人服のサンプルや芸能人の衣装を外注制作している関東在住の叔父・叔母の元で生地の裁断からミシン縫製で洋服ができる過程を学んだ。「縫うっていいな。芸能人が着るような服を作りたい」と、縫製の道を選んだ。

     「縫製工場の仕事をしながら文化服装学院で洋服を学べる道を選びました。でも工場は流れ作業で面白くなかったんです。やっぱり一から洋服を縫い上げたかった」と退職。洋服サンプル縫製会社に入り、芸能人やファッションショーで着るような服のサンプルを作った。
     「当初は思い通り縫えず怒られてばかりでしたが、作ることが楽しくて、朝から晩までミシンと向き合っていました。アフターファイブなんてなかったです」。
     その頃、同じく十日町市出身で都内で働いていた中学の同級生、山田健一さんと再会し結婚。「子どもを授かった頃、料理人の主人も十日町からオファーがあって、帰りたくなかったけど、いつか東京に戻ってくるぞと思い、十日町に帰ってきました」。工業用ミシンやアイロンと共に帰省。勤めていた会社から外注を受け、「子どもはミシンの音をきいて眠っていましたね。お腹の中にいた時から聞いていたからかな」。しかし、ネット社会になり、外注で仕事をするのが難しく働きに出た。
     健一さんの独立に合わせ由美子さんと共に二人三脚の日々が始まった。「趣味でミシンは触っていましたがオープン当初は忙しくて、子育てややらなきゃいけないことがありすぎてミシンは一度『封印』しました」。
     ミシン『封印』を解いたのはコロナ禍の最中。「コロナで店が暇になり、昼間の時間帯に遊休時間が生まれ自分にできるミシンで何か仕事ができないか」と健一さんに話したが、ミシンで商売することになかなか首を縦に振ってくれなかった。「他ではあまりやってない刺繍を取り入れたらどうだろうって言ったら、縦に振ってくれましたね」。
     刺繡をバッグなどに縫い入れたり、刺繍アクセサリーを作り初めて長岡の大きなイベントに出店。「自信を持って行ったのに、初めての参加でもあって思ったほど手に取ってもらえませんでした。ただ、隣の人が私の作品を見て犬のイベントで出してみたら?って言ってくれたんです」。由美子さんは犬が好きで愛犬『太(うず)』、『雪(ゆき)』がいる。その日の作品にもバッグに犬の刺繍ワッペンなどを施していた。「心折れたけどいいアドバイスがもらえて収穫のある出店でした」。
     その後、犬のイベントに出店。「求めてくれる人が居てリピーターも今
    はできています。直接対面で大好きな犬に触れながら販売できるので嬉しいですね」。さらに「犬服やグッズをイベントで販売。オーダー希望のお客様には名前刺繍や、うちの子ワッペン、セミオーダー服などを受注制作しています」。
     由美子さんは『だいにんぐ遊らく』の女将も務めながら刺繡業やイベント、とおか市にも出店し日々忙しい。「ゆっくり好きな事をして暮らしたいと思っていたのに、逆に忙しくなってしまいました。常に動いていたいんでしょうね。やりたいことがありすぎて何がしてやんって言われます。大きな夢は十日町にないドッグラン&カフェ併設のミシン工房作りかな」。

    ▼バトンタッチします。
     綱大介さん

    2024年8月17日号