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妻有新聞掲載記事一覧

  • コシノコバイモの2輪咲き

    南雲 敏夫(県自然観察指導員)

     コシノコバイモ、幻の花とも言われているが、その数はある程度あるみたいだが、なんにせよ緑色の花の色合いと小型の背丈、花が下向き加減でおしとやか。
     だからそのつもりで捜さないと、ほとんどの人たちは見つけられないで終わる。普通の花は一茎に一花であるが、この花は一茎に二花付いている。
     変化花と言われればそれきりだが、いままで相当の量の花を捜して見ているが、こんな変わった花は初めてである。
     たいていカタクリの咲いている時期に咲いているのだが、カタクリと同じで花が終わると、地上茎がサッサと枯れてなくなってしまう。
     いわゆる夏眠タイプの花で、キクザキイチリンソウやイチリンソウなどもその仲間、通称はスプリングエフェメラルと言う可憐な名前が付いている。
     それにしても、なぜこのような花ができるのかが一番の疑問だが、自然の中に生育する草花は、説明できない内容もおおいのでは。
     変わった花を見つけるには、その前に正常の花をしっかりと覚える必要があると言う事を付け加えておく…。

    2024年4月20日号

  • 1570人の村が問いかける

     明日投票の栄村は、人口1570人だが面積は日本国土の0・1%を占める広さだ。少子化・高齢化の冠詞が付く自治体、だが可能性という文字も併せ持つ。 人口密度の低さは、一方で過疎過密とは縁遠く、若いファミリーが求める「ゆったり暮らし」の地でもある。上信越国立公園を含み、その地の一部は原生自然環境保全地域に指定され、そのままの自然生態の保護が義務づけられている。日本百名山、二百名山、全国有数の豪雪地、1級河川の清流が2本も流れ、河川浸食が創り出した段丘地は肥沃の大地が広がる。
     これほどの地勢的な環境に人が1570人。何が足りていないのか、それが今度の村長選で問われている。
     明確だろう。暮らしやすさ、安心して暮らせる地だろう。暮らしと直結するのが医療福祉、さらに子育てを支える経済。多くの選挙で問われる政策的な争点だ。これは、当たり前のこと。選挙になり急浮上した課題ではない。だが、選挙になると政策の柱に据え、これもする、あれもする、それが選挙公約になっている。今度の栄村長選でも同じ傾向が見られ、村民・有権者の受け止めた「いつも同じ」なのだろう。
     限られた有権者数。それは「1票の顔が見える」こと。今回の現職、元職、いずれも現・元の村長肩書が付く候補同士の選挙だ。それは「浮動票のない選挙」でもある。元職が務めた4年前までの1期4年間、現職の4年前からの4年間、さて、なにが違い、どう変わり、なにが問われているのか、それが今度の栄村長選である。
     地方自治体の縮図、この国の20年先を行っている自治体などと形容される過疎・少子化・高齢化の自治体は全国にある。隣接の津南町もそうだろう、さらに十日町市も類似点は多い。小さな村のトップを選ぶ選挙は、実は時代の先を行っている自治体の選挙でもある。栄村の人たちは、何を選択するのか。

    2024年4月20日号

  • 「衰退でいいのか」、樋口明弘氏が再挑戦

    関口市長後援会幹部、昨年末に「もう一期を」出馬要請

    十日町市長任期、来春4月30日

     来年4月の十日町市長選が動き出した。現職で4期の関口芳史市長(65)は次期への態度表明をしていないが、8年前に一騎打ちで惜敗した不動産業・樋口明弘氏(76)は11日、来年の市長選に出馬表明した。サンクロス十日町で記者会見した樋口氏は「市長の仕事は地域の仕事を創り出すこと。いまの市長は何を創り出したのか。だからこの15年間、十日町市はどんどん衰退している」と、現市政との対決色を鮮明にする。さらに取材に答え、その「仕事づくり」で上げるのが、来年6月に向えるJR東・宮中取水ダムの水利権更新に合わせた条件闘争ともいえる「発電する電力の地元還元」。樋口氏は「高い電気料が大幅に軽減できれば、大手企業は十日町に来る。働く場が増え、市民所得が上がれば人口増加に結び付く。今の市政はやるべきことをやっていない」と市長選での政策の一端を話している。樋口氏は2013年、2017年に次ぐ三度目の市長選挑戦となる。

    2024年4月13日号

  • 都心の満開桜、雪と競演

    東京・日八会さくら祭り

    津南町・栄村有志が雪4トン、交流18年目

     〇…満開の桜に雪の風情ある空間が都心に出現した。東京・中央区日本橋・八重洲で行っている「日八会さくら祭り」は今月5~7日に開催。今年も津南町・栄村の有志で作るNPO雪の都GO雪共和国(相澤博文理事長)が6日に約4㌧の雪を持込む。会場は東京駅徒歩5分、中央区内最多の169本の桜は、雪を待っていたかのように満開。雪の滑り台やミニカマクラ、さらに2日間分用として持ち込んだ雪下にんじん3百㌔は半日で完売、急きょ追加を津南町から運ぶなどで盛況だった。

    2024年4月13日号

  • 『建築は芸術』、たまたまの出会い

    神内 隆伍さん(2000年生まれ)

     環境問題を議論した国際会議の場で、「京都議定書締結」会場として世界に知られる国立京都国際会館。その建物の造形が気になりだしたのは高校時代。「あの建物の前に周囲1・5㌔もある大きな池があります。国際会館とその池、あの風景は自然の中に巨大な人工物があるという異物感があると思いますが、私はあの建物と池があるから、あの風景の雰囲気があると感じています」。でも、と続ける。「高校時代は、なんとなく気になる建物であり、風景でした。こうして言語化できるようになったのは、大学に行ってからですね」。国際会館も、あの池「宝ヶ池」も、『たまたま』家の近くにあった。
     『建築は芸術』。
    この視点のままに多摩美術大に進み、環境デザイン学科で建築を専攻。一般的な住宅も「芸術」として見ると、暮らしまで見えてくる。学生時代、東北以外のほぼ全国を巡り、行く先々で「建築」を見た。在学中の作品制作は、自分のルーツや育ちを振り返る契機にもなり、その中から出てきたのが卒論テーマ『自然と人間』。卒業設計ではテーマを具現化した図面と模型を製作。その理念は「『人間』以後の自然/人の関係性」ー自然との一体化をめざしてー。この論点が卒業後、迷いなく『米づくり』へとつながった。
     十日町行きも「たまたま」だった。米づくり、協力隊、このキーワードで検索すると「十日町市」が出てきた。「大地の芸術祭は知っていましたから、先ずは行ってみるか、でした」。入った地域は「北山地区」。田野倉、仙納、莇平の3集落を担当。1年目から思い描いた米づくりが実現。「田んぼ4枚で2畝(2㌃)を、最初の年は耕運しないで、そのまま手で苗を植えました。地元の人たちがとっても温かく迎えてくれ、米づくりも教えて頂き、2年目には少しコツをつかみましたが一朝一夕にはいかないことが、実感として分かりました」。
     だが、苦しい・疲れる・大変の農作業から、「そういう行為からしか得られない快楽が得られた、これはこの作業をしない限り分からなかったことでした」。『建築は芸術』に通じる感覚でもあり、米づくりを「ライフワーク」とするつもりだ。それも、無心で土と向き合う、その行為でなければ得ることができない『快楽』を求めて。
     3月末で地域おこし協力隊を退任。「建築は芸術」に通じる家づくり、こだわり設計の津南町の工務店「大平木工」で5月から働く。「近代以前の建築は、大工さんが自分で設計し家を建てていましたが、最近は設計と建築が分業化されてしまいました。近代以前の建築のあり方に関心があり、先ずは現場から入ります」。

     美大で抱いた「建築は芸術」。その方向性に向かう自分がいる。「これも、たまたま、その方向に向かい始めている、ですね。これからも、たまたま、に出会うことを楽しみにしたいです」。
     協力隊で暮らした田野倉。ここでも「たまたま」の出会いがあり、築後150年余の古民家を譲り受けることになった。地域の「旦那様」の家で、長らく空き家だった。「どう手を入れようかという設計は出来ています。自分でリノベーションしていきます。まさか24歳で家と土地を持つとは思ってなかったですね。これも、たまたまの出会いでしょうか」。
     取材の3日前、突然友だちが家に来て『髪、染めたら』と染め始め、人生初の「ゴールド髪」に。「有無を言わせず、いきなり髪染めが始まったんです」。取材が終わり、「この後、このまま東北の旅に出ます。ノープラン、5月までに帰るつもりです」。
     きっと、旅の先々で新たな「たまたま」が待っているのだろう。
    ◆バトンタッチします。
     「高木良輔さん」

    2024年4月13日号

  • ブナの芽吹き

    中沢 英正(県自然観察保護員)

     4月、ブナが葉を展開する時期だ。妻有の春はこの新緑で本番を迎える。
     植物を撮り始めた頃の1985年から2020年の間、ブナは4月20日前後で芽吹いていた。それがここに来て4月上旬まで早まったなと思っていたら、昨年はなんと3月下旬に見られるまでになった(花をつける年は1週間ほど早まる傾向があるが)。
     この樹木は毎年花をつける訳ではなく、5~7年おきに豊作を迎える。その間にも花をつけるものはあるが、2年続けてつけるものが現れるようになった。この場合果実は未熟なことが多いが…。
     ここ数年、雪の降り方や春先の高温に戸惑いや不安を感じるようになった。それは動植物にとってそれ以上の危機感だろう。
     地球温暖化が叫ばれて久しいがブナの芽吹きが早まったり、頻繁に花をつけるのはそれが原因のひとつなのかもしれない。
     今春も4月初めに芽吹きを確認した。山裾が新緑に包まれるのももうすぐだ。

    2024年4月13日号

  • 何も進んでいない「核のゴミ」

    あれから13年、原発問題

    斎木 文夫 (年金生活者)

     3月30日付け本紙の社説の見出しは『3月議会、なぜなかった原発論議』であった。確かに東電は原発再稼働の準備を着々と進めている。その間、十日町市・津南町議会は何をしていたのか。
     共産党市議団・富井氏は24年度予算案に対する反対討論の冒頭で「柏崎刈羽原発の再稼働に反対し、廃炉を求める」と訴えた。ほかに何かあったのだろうか。
     本紙新年号の名士の「新年のご挨拶」も柏崎刈羽原発再稼働問題に触れたものはなかった。2人の県議には期待していなかったが、原発から30㌔圏内に入る十日町市の市長、隣接する津南町長からは、住民の生命・生業をどう守るのか、何らかのメッセージをいただきたかった。
     能登半島地震後、専門家の話を聞いて、心配になったことがある。
     1つは、今回の地震では4枚の活断層が滑ったことで津波が発生したが、佐渡沖の2枚の活断層はほとんど動かず、今後大きな揺れを引き起こすおそれがあるということ。この活断層の位置は佐渡の西側で、上越沖と言った方が分かりやすい。
     2つ目は、海陸境界の断層は、調査のいわばエアポケットみたいな状態で、調査が進んでいないということ。柏崎刈羽原発敷地内・周辺に活断層があるかどうか、専門家の間で意見が分かれるのも無理はない。
     柏崎刈羽原発再稼働をどう考えたらいいか、事前学習として4月2・3日に福島第1原発事故13年後の姿を見てきた。
     復興庁によると、原発事故による避難者は約2万9千人(2月1日現在)。この中に「自主避難者」は含まれていない。
    帰還困難区域では、部分的に放射能除染をした「特定帰還居住区域」で新しい街づくりが始まっていた。しかし、原発が立地する大熊町の居住者数は646人(事故前の5・6%)、双葉町が102人(同1・4%)しかいない。
     「街」には東電社宅、原発作業員宿舎、町営住宅が並び、人がいなくなった土地には汚染土の袋と太陽光パネルが並ぶ。
     福島第1原発のデブリの取出し、廃炉の工程は見通せず、汚染水は海洋放出に近い量が新たに流入していた。避難者も帰還者も多くが生業を奪われ、厳しい生活が続いている。福島第1原発事故は現在も進行中で、決して過去の出来事ではない。
     今後も想定外の地震や津波が起きる。核のごみを安全に処分する技術はない。そして、ヒトは必ずミスをする。やっぱり、原発の再稼働はダメだ。

    2024年4月13日号

  • 政治不信、衆院選で審判を

     政治不信が深刻だ。衆院選はいつか、そんな話題が遠のきつつあるのは我々の「忘れ症」のせいか。いやいや、これだけ「茶番劇」を見せられると、いかに政治好きでも、いいかげんにせい! となるだろう。政権政党への政権不信が、いまでは対する野党への不信も募り、「政治不信」になってしまっている現実は、相当に根深い。
     新年度になり、何かしらの「期待感」が、桜前線の上昇と共にふんわりとこの国を包んでいるが、何も変わっていないのだ。「国民の生命と財産を守る」のが政治と教わったのは中学時代。いまもその大義は変らないはずだが、託せる政治が行われず、ひたすら「保身政治」がまかり通っている。これでは「政治への信頼を」などとは程遠い。
     選良と呼ばれる議員。新たなに南魚沼市・魚沼市・湯沢町が加わる新5区は、どうなっているのか。政治資金規正法違反で「戒告」処分を受けた自民の衆院現職・高鳥修一氏。公職選挙法違反で刑事告発された立憲の衆院現職・梅谷守氏。ここ5区はどうなるんですか、と問うても答えは返って来ないだろう。
     かつて「田中角栄」という政治家が、「この三国山脈をなくせば、この豪雪地域はこんなに雪が降らなくなる。出た残土は佐渡を陸続きにすればいい」。壮大な話だが、雪に苦しめられた雪国人たちは、その角さんに夢を託し、それに応え様々な雪国対策の法律を作った。なぜ、こうした政治家がいなくなったのか。住民に単に夢を売るだけでなく、それを目の前で実現してくれるのが政治家であり、それを継続するのが政治だろう。
     市町村長も政治家、市町村議員も政治家、だが、本当に政治家なのか、疑問符がいくつも付くトップ、議員が多くなったのは、我々のせいでもある。チェックの甘さ、出しっぱなし、その全てが我々の責任だが…、である。

    2024年4月13日号

  • 現村長対元村長、確執? 静かに熱く

    宮川陣営6日選対開き、森川選対13日総決起集会

     4年前と同じ顔ぶれでの選挙戦が濃厚だ。任期満了(5月14日)に伴う栄村長選は16日告示、21日投開票が決まっている。現職の宮川幹雄村長(70、野田沢)、前回選244票差で敗れた元職・森川浩市氏(64、雪坪)が出馬を表明している。ただ告示日まで10日間となるが、両候補の活動が村民に見えず、「とても静かな村長選挙。本当に選挙があるのか疑問に思うぐらい」など、候補の動きや政策が見えにくい選挙戦に戸惑う声が出ている。人口1570人・高齢化率55・3%(3月末付)と人口減少が進む栄村の4年間の舵取りを誰に任せるのか。有権者の判断に注目が集まる。

    2024年4月6日号

  • 『自分の興味エネルギーのままに』

    廣田 伸子さん(1983年生まれ)

     16歳の時、北海道・紋別でファームスティで牧場で働いた。夕食会の時、その言葉と出会った。『自分の興味に素直になったほうがいいよ』。牧場経営者の友だちも一緒の食事会で、その人はNHKを退職し、夫婦で紋別で暮らしていた。中学を出たばかりの16歳には、興味深い話ばかりだった。小学卒業後、親に長文の手紙を書いて願った埼玉の「自由の森学園」に入り、卒業後、東京の劇団やタイへのバックパックの旅などを話すと、その人は『自分の興味に…』と話した。「そういうことなのか…」と、ストンと胸に落ちる言葉だった。
     十日町生まれ。
    17歳の時には沖縄の高校に通い、沖縄の歴史、習俗や文化に触れ、民俗の研究者になろうとひらめく。「ちょっと違う角度で見ると、こんなにも違う世界があるんだと。それを見つけ出すことをしたい」と文化人類学をめざし、高校の英語教諭の橋渡しでネパールへ。フィールドワークがある現地の大学に入り、村々を回った。
     大学3年間でネパール語を習得、卒業後に一端帰国するが、海外協力隊に応募するとネパール担当にすぐ決まり、2年間の活動後、JICA(ジャイカ)に就職。日本のNGOと現地NGOをつなぐコーディネイト役を担いカトマンズに3年間駐在。「山が最高にきれいでしたね」。現地ではセーブ・ザ・チルドレンなど両国での9件のプロジェクトに取り組んだ。
     探求はさらに続く。日本財団の奨学生に受かり、フィリピンとコスタリカの国連大学で国際政治学や持続可能経済開発学を学ぶ。「キャリアアップをめざしたんですが、それ以上に人と接するのが好きで、現地の人たちとの出会いや交流が最高でした」。
     自分を突き動かすエネルギーのままに国外での活動を続けるなかで、ふと感じた。「キャリアを積んでいくと、そのキャリアに引っ張られてしまう。本当にやりたいことから外れていくような感じがしたんです」。違う何かへの興味が湧いてくるのを感じた。北海道で出会った、あの言葉がよみがえった。
     十日町に帰った時、ち
    ょうど大地の芸術祭開催の年だった。実家の農家民宿を手伝う中で、「自分でプロジェクトを立ち上げるのも楽しそうだな」、さらに「自分で好きなようにしてみたい」。 清津峡入口の小出集落に空き家を見つけた。「人から人につながり、この家のリノベーションには本当に様々な人たちが関わってくれ、皆さんほぼ手弁当でした。亡くなっちゃいましたが、棟梁・樋口武さんも病気を推して最後まで『こだわり』で作り続け、この家の随所に見られますよ」。
     『Tani House Itaya』(谷ハウスいたや)。清津峡渓谷の谷、その清流、清津川の脇に立つ。屋根裏まで吹き抜け、黒光りする階段を登ると中二階の廊下から囲炉裏がある居間が見下ろせる。歴史を感じる太い梁に漆喰壁、「ずっと居たくなる空間」がそこにある。
     「昨年の夏、オランダからの家族が1ヵ月滞在し、台湾の家族も1週間居ました。国内からも家族が来て、ここの自然を楽しんでいます」。宿泊は『1棟貸し』。まるごと家を借りられ、我が家のようにリラックスして過ごせる魅力は大きい。
     13歳で家を離れ、自分の興味エネルギーのままに動いてきた。「ふりきった、かなぁ、ですね」。10代からの歩みは相当な振れ幅の時間。まだ振れは続いているようだ。「来年は、ここに居ないかもしれませんねぇ」、冗談の笑顔は、まだエネルギーでいっぱいだ。
    ◆バトンタッチします。
     「神内隆伍さん」

    2024年4月6日号

  • コシノコバイモの2輪咲き

    南雲 敏夫(県自然観察指導員)

     コシノコバイモ、幻の花とも言われているが、その数はある程度あるみたいだが、なんにせよ緑色の花の色合いと小型の背丈、花が下向き加減でおしとやか。
     だからそのつもりで捜さないと、ほとんどの人たちは見つけられないで終わる。普通の花は一茎に一花であるが、この花は一茎に二花付いている。
     変化花と言われればそれきりだが、いままで相当の量の花を捜して見ているが、こんな変わった花は初めてである。
     たいていカタクリの咲いている時期に咲いているのだが、カタクリと同じで花が終わると、地上茎がサッサと枯れてなくなってしまう。
     いわゆる夏眠タイプの花で、キクザキイチリンソウやイチリンソウなどもその仲間、通称はスプリングエフェメラルと言う可憐な名前が付いている。
     それにしても、なぜこのような花ができるのかが一番の疑問だが、自然の中に生育する草花は、説明できない内容もおおいのでは。
     変わった花を見つけるには、その前に正常の花をしっかりと覚える必要があると言う事を付け加えておく…。

    2024年4月20日号

  • 1570人の村が問いかける

     明日投票の栄村は、人口1570人だが面積は日本国土の0・1%を占める広さだ。少子化・高齢化の冠詞が付く自治体、だが可能性という文字も併せ持つ。 人口密度の低さは、一方で過疎過密とは縁遠く、若いファミリーが求める「ゆったり暮らし」の地でもある。上信越国立公園を含み、その地の一部は原生自然環境保全地域に指定され、そのままの自然生態の保護が義務づけられている。日本百名山、二百名山、全国有数の豪雪地、1級河川の清流が2本も流れ、河川浸食が創り出した段丘地は肥沃の大地が広がる。
     これほどの地勢的な環境に人が1570人。何が足りていないのか、それが今度の村長選で問われている。
     明確だろう。暮らしやすさ、安心して暮らせる地だろう。暮らしと直結するのが医療福祉、さらに子育てを支える経済。多くの選挙で問われる政策的な争点だ。これは、当たり前のこと。選挙になり急浮上した課題ではない。だが、選挙になると政策の柱に据え、これもする、あれもする、それが選挙公約になっている。今度の栄村長選でも同じ傾向が見られ、村民・有権者の受け止めた「いつも同じ」なのだろう。
     限られた有権者数。それは「1票の顔が見える」こと。今回の現職、元職、いずれも現・元の村長肩書が付く候補同士の選挙だ。それは「浮動票のない選挙」でもある。元職が務めた4年前までの1期4年間、現職の4年前からの4年間、さて、なにが違い、どう変わり、なにが問われているのか、それが今度の栄村長選である。
     地方自治体の縮図、この国の20年先を行っている自治体などと形容される過疎・少子化・高齢化の自治体は全国にある。隣接の津南町もそうだろう、さらに十日町市も類似点は多い。小さな村のトップを選ぶ選挙は、実は時代の先を行っている自治体の選挙でもある。栄村の人たちは、何を選択するのか。

    2024年4月20日号

  • 「衰退でいいのか」、樋口明弘氏が再挑戦

    関口市長後援会幹部、昨年末に「もう一期を」出馬要請

    十日町市長任期、来春4月30日

     来年4月の十日町市長選が動き出した。現職で4期の関口芳史市長(65)は次期への態度表明をしていないが、8年前に一騎打ちで惜敗した不動産業・樋口明弘氏(76)は11日、来年の市長選に出馬表明した。サンクロス十日町で記者会見した樋口氏は「市長の仕事は地域の仕事を創り出すこと。いまの市長は何を創り出したのか。だからこの15年間、十日町市はどんどん衰退している」と、現市政との対決色を鮮明にする。さらに取材に答え、その「仕事づくり」で上げるのが、来年6月に向えるJR東・宮中取水ダムの水利権更新に合わせた条件闘争ともいえる「発電する電力の地元還元」。樋口氏は「高い電気料が大幅に軽減できれば、大手企業は十日町に来る。働く場が増え、市民所得が上がれば人口増加に結び付く。今の市政はやるべきことをやっていない」と市長選での政策の一端を話している。樋口氏は2013年、2017年に次ぐ三度目の市長選挑戦となる。

    2024年4月13日号

  • 都心の満開桜、雪と競演

    東京・日八会さくら祭り

    津南町・栄村有志が雪4トン、交流18年目

     〇…満開の桜に雪の風情ある空間が都心に出現した。東京・中央区日本橋・八重洲で行っている「日八会さくら祭り」は今月5~7日に開催。今年も津南町・栄村の有志で作るNPO雪の都GO雪共和国(相澤博文理事長)が6日に約4㌧の雪を持込む。会場は東京駅徒歩5分、中央区内最多の169本の桜は、雪を待っていたかのように満開。雪の滑り台やミニカマクラ、さらに2日間分用として持ち込んだ雪下にんじん3百㌔は半日で完売、急きょ追加を津南町から運ぶなどで盛況だった。

    2024年4月13日号

  • 『建築は芸術』、たまたまの出会い

    神内 隆伍さん(2000年生まれ)

     環境問題を議論した国際会議の場で、「京都議定書締結」会場として世界に知られる国立京都国際会館。その建物の造形が気になりだしたのは高校時代。「あの建物の前に周囲1・5㌔もある大きな池があります。国際会館とその池、あの風景は自然の中に巨大な人工物があるという異物感があると思いますが、私はあの建物と池があるから、あの風景の雰囲気があると感じています」。でも、と続ける。「高校時代は、なんとなく気になる建物であり、風景でした。こうして言語化できるようになったのは、大学に行ってからですね」。国際会館も、あの池「宝ヶ池」も、『たまたま』家の近くにあった。
     『建築は芸術』。
    この視点のままに多摩美術大に進み、環境デザイン学科で建築を専攻。一般的な住宅も「芸術」として見ると、暮らしまで見えてくる。学生時代、東北以外のほぼ全国を巡り、行く先々で「建築」を見た。在学中の作品制作は、自分のルーツや育ちを振り返る契機にもなり、その中から出てきたのが卒論テーマ『自然と人間』。卒業設計ではテーマを具現化した図面と模型を製作。その理念は「『人間』以後の自然/人の関係性」ー自然との一体化をめざしてー。この論点が卒業後、迷いなく『米づくり』へとつながった。
     十日町行きも「たまたま」だった。米づくり、協力隊、このキーワードで検索すると「十日町市」が出てきた。「大地の芸術祭は知っていましたから、先ずは行ってみるか、でした」。入った地域は「北山地区」。田野倉、仙納、莇平の3集落を担当。1年目から思い描いた米づくりが実現。「田んぼ4枚で2畝(2㌃)を、最初の年は耕運しないで、そのまま手で苗を植えました。地元の人たちがとっても温かく迎えてくれ、米づくりも教えて頂き、2年目には少しコツをつかみましたが一朝一夕にはいかないことが、実感として分かりました」。
     だが、苦しい・疲れる・大変の農作業から、「そういう行為からしか得られない快楽が得られた、これはこの作業をしない限り分からなかったことでした」。『建築は芸術』に通じる感覚でもあり、米づくりを「ライフワーク」とするつもりだ。それも、無心で土と向き合う、その行為でなければ得ることができない『快楽』を求めて。
     3月末で地域おこし協力隊を退任。「建築は芸術」に通じる家づくり、こだわり設計の津南町の工務店「大平木工」で5月から働く。「近代以前の建築は、大工さんが自分で設計し家を建てていましたが、最近は設計と建築が分業化されてしまいました。近代以前の建築のあり方に関心があり、先ずは現場から入ります」。

     美大で抱いた「建築は芸術」。その方向性に向かう自分がいる。「これも、たまたま、その方向に向かい始めている、ですね。これからも、たまたま、に出会うことを楽しみにしたいです」。
     協力隊で暮らした田野倉。ここでも「たまたま」の出会いがあり、築後150年余の古民家を譲り受けることになった。地域の「旦那様」の家で、長らく空き家だった。「どう手を入れようかという設計は出来ています。自分でリノベーションしていきます。まさか24歳で家と土地を持つとは思ってなかったですね。これも、たまたまの出会いでしょうか」。
     取材の3日前、突然友だちが家に来て『髪、染めたら』と染め始め、人生初の「ゴールド髪」に。「有無を言わせず、いきなり髪染めが始まったんです」。取材が終わり、「この後、このまま東北の旅に出ます。ノープラン、5月までに帰るつもりです」。
     きっと、旅の先々で新たな「たまたま」が待っているのだろう。
    ◆バトンタッチします。
     「高木良輔さん」

    2024年4月13日号

  • ブナの芽吹き

    中沢 英正(県自然観察保護員)

     4月、ブナが葉を展開する時期だ。妻有の春はこの新緑で本番を迎える。
     植物を撮り始めた頃の1985年から2020年の間、ブナは4月20日前後で芽吹いていた。それがここに来て4月上旬まで早まったなと思っていたら、昨年はなんと3月下旬に見られるまでになった(花をつける年は1週間ほど早まる傾向があるが)。
     この樹木は毎年花をつける訳ではなく、5~7年おきに豊作を迎える。その間にも花をつけるものはあるが、2年続けてつけるものが現れるようになった。この場合果実は未熟なことが多いが…。
     ここ数年、雪の降り方や春先の高温に戸惑いや不安を感じるようになった。それは動植物にとってそれ以上の危機感だろう。
     地球温暖化が叫ばれて久しいがブナの芽吹きが早まったり、頻繁に花をつけるのはそれが原因のひとつなのかもしれない。
     今春も4月初めに芽吹きを確認した。山裾が新緑に包まれるのももうすぐだ。

    2024年4月13日号

  • 何も進んでいない「核のゴミ」

    あれから13年、原発問題

    斎木 文夫 (年金生活者)

     3月30日付け本紙の社説の見出しは『3月議会、なぜなかった原発論議』であった。確かに東電は原発再稼働の準備を着々と進めている。その間、十日町市・津南町議会は何をしていたのか。
     共産党市議団・富井氏は24年度予算案に対する反対討論の冒頭で「柏崎刈羽原発の再稼働に反対し、廃炉を求める」と訴えた。ほかに何かあったのだろうか。
     本紙新年号の名士の「新年のご挨拶」も柏崎刈羽原発再稼働問題に触れたものはなかった。2人の県議には期待していなかったが、原発から30㌔圏内に入る十日町市の市長、隣接する津南町長からは、住民の生命・生業をどう守るのか、何らかのメッセージをいただきたかった。
     能登半島地震後、専門家の話を聞いて、心配になったことがある。
     1つは、今回の地震では4枚の活断層が滑ったことで津波が発生したが、佐渡沖の2枚の活断層はほとんど動かず、今後大きな揺れを引き起こすおそれがあるということ。この活断層の位置は佐渡の西側で、上越沖と言った方が分かりやすい。
     2つ目は、海陸境界の断層は、調査のいわばエアポケットみたいな状態で、調査が進んでいないということ。柏崎刈羽原発敷地内・周辺に活断層があるかどうか、専門家の間で意見が分かれるのも無理はない。
     柏崎刈羽原発再稼働をどう考えたらいいか、事前学習として4月2・3日に福島第1原発事故13年後の姿を見てきた。
     復興庁によると、原発事故による避難者は約2万9千人(2月1日現在)。この中に「自主避難者」は含まれていない。
    帰還困難区域では、部分的に放射能除染をした「特定帰還居住区域」で新しい街づくりが始まっていた。しかし、原発が立地する大熊町の居住者数は646人(事故前の5・6%)、双葉町が102人(同1・4%)しかいない。
     「街」には東電社宅、原発作業員宿舎、町営住宅が並び、人がいなくなった土地には汚染土の袋と太陽光パネルが並ぶ。
     福島第1原発のデブリの取出し、廃炉の工程は見通せず、汚染水は海洋放出に近い量が新たに流入していた。避難者も帰還者も多くが生業を奪われ、厳しい生活が続いている。福島第1原発事故は現在も進行中で、決して過去の出来事ではない。
     今後も想定外の地震や津波が起きる。核のごみを安全に処分する技術はない。そして、ヒトは必ずミスをする。やっぱり、原発の再稼働はダメだ。

    2024年4月13日号

  • 政治不信、衆院選で審判を

     政治不信が深刻だ。衆院選はいつか、そんな話題が遠のきつつあるのは我々の「忘れ症」のせいか。いやいや、これだけ「茶番劇」を見せられると、いかに政治好きでも、いいかげんにせい! となるだろう。政権政党への政権不信が、いまでは対する野党への不信も募り、「政治不信」になってしまっている現実は、相当に根深い。
     新年度になり、何かしらの「期待感」が、桜前線の上昇と共にふんわりとこの国を包んでいるが、何も変わっていないのだ。「国民の生命と財産を守る」のが政治と教わったのは中学時代。いまもその大義は変らないはずだが、託せる政治が行われず、ひたすら「保身政治」がまかり通っている。これでは「政治への信頼を」などとは程遠い。
     選良と呼ばれる議員。新たなに南魚沼市・魚沼市・湯沢町が加わる新5区は、どうなっているのか。政治資金規正法違反で「戒告」処分を受けた自民の衆院現職・高鳥修一氏。公職選挙法違反で刑事告発された立憲の衆院現職・梅谷守氏。ここ5区はどうなるんですか、と問うても答えは返って来ないだろう。
     かつて「田中角栄」という政治家が、「この三国山脈をなくせば、この豪雪地域はこんなに雪が降らなくなる。出た残土は佐渡を陸続きにすればいい」。壮大な話だが、雪に苦しめられた雪国人たちは、その角さんに夢を託し、それに応え様々な雪国対策の法律を作った。なぜ、こうした政治家がいなくなったのか。住民に単に夢を売るだけでなく、それを目の前で実現してくれるのが政治家であり、それを継続するのが政治だろう。
     市町村長も政治家、市町村議員も政治家、だが、本当に政治家なのか、疑問符がいくつも付くトップ、議員が多くなったのは、我々のせいでもある。チェックの甘さ、出しっぱなし、その全てが我々の責任だが…、である。

    2024年4月13日号

  • 現村長対元村長、確執? 静かに熱く

    宮川陣営6日選対開き、森川選対13日総決起集会

     4年前と同じ顔ぶれでの選挙戦が濃厚だ。任期満了(5月14日)に伴う栄村長選は16日告示、21日投開票が決まっている。現職の宮川幹雄村長(70、野田沢)、前回選244票差で敗れた元職・森川浩市氏(64、雪坪)が出馬を表明している。ただ告示日まで10日間となるが、両候補の活動が村民に見えず、「とても静かな村長選挙。本当に選挙があるのか疑問に思うぐらい」など、候補の動きや政策が見えにくい選挙戦に戸惑う声が出ている。人口1570人・高齢化率55・3%(3月末付)と人口減少が進む栄村の4年間の舵取りを誰に任せるのか。有権者の判断に注目が集まる。

    2024年4月6日号

  • 『自分の興味エネルギーのままに』

    廣田 伸子さん(1983年生まれ)

     16歳の時、北海道・紋別でファームスティで牧場で働いた。夕食会の時、その言葉と出会った。『自分の興味に素直になったほうがいいよ』。牧場経営者の友だちも一緒の食事会で、その人はNHKを退職し、夫婦で紋別で暮らしていた。中学を出たばかりの16歳には、興味深い話ばかりだった。小学卒業後、親に長文の手紙を書いて願った埼玉の「自由の森学園」に入り、卒業後、東京の劇団やタイへのバックパックの旅などを話すと、その人は『自分の興味に…』と話した。「そういうことなのか…」と、ストンと胸に落ちる言葉だった。
     十日町生まれ。
    17歳の時には沖縄の高校に通い、沖縄の歴史、習俗や文化に触れ、民俗の研究者になろうとひらめく。「ちょっと違う角度で見ると、こんなにも違う世界があるんだと。それを見つけ出すことをしたい」と文化人類学をめざし、高校の英語教諭の橋渡しでネパールへ。フィールドワークがある現地の大学に入り、村々を回った。
     大学3年間でネパール語を習得、卒業後に一端帰国するが、海外協力隊に応募するとネパール担当にすぐ決まり、2年間の活動後、JICA(ジャイカ)に就職。日本のNGOと現地NGOをつなぐコーディネイト役を担いカトマンズに3年間駐在。「山が最高にきれいでしたね」。現地ではセーブ・ザ・チルドレンなど両国での9件のプロジェクトに取り組んだ。
     探求はさらに続く。日本財団の奨学生に受かり、フィリピンとコスタリカの国連大学で国際政治学や持続可能経済開発学を学ぶ。「キャリアアップをめざしたんですが、それ以上に人と接するのが好きで、現地の人たちとの出会いや交流が最高でした」。
     自分を突き動かすエネルギーのままに国外での活動を続けるなかで、ふと感じた。「キャリアを積んでいくと、そのキャリアに引っ張られてしまう。本当にやりたいことから外れていくような感じがしたんです」。違う何かへの興味が湧いてくるのを感じた。北海道で出会った、あの言葉がよみがえった。
     十日町に帰った時、ち
    ょうど大地の芸術祭開催の年だった。実家の農家民宿を手伝う中で、「自分でプロジェクトを立ち上げるのも楽しそうだな」、さらに「自分で好きなようにしてみたい」。 清津峡入口の小出集落に空き家を見つけた。「人から人につながり、この家のリノベーションには本当に様々な人たちが関わってくれ、皆さんほぼ手弁当でした。亡くなっちゃいましたが、棟梁・樋口武さんも病気を推して最後まで『こだわり』で作り続け、この家の随所に見られますよ」。
     『Tani House Itaya』(谷ハウスいたや)。清津峡渓谷の谷、その清流、清津川の脇に立つ。屋根裏まで吹き抜け、黒光りする階段を登ると中二階の廊下から囲炉裏がある居間が見下ろせる。歴史を感じる太い梁に漆喰壁、「ずっと居たくなる空間」がそこにある。
     「昨年の夏、オランダからの家族が1ヵ月滞在し、台湾の家族も1週間居ました。国内からも家族が来て、ここの自然を楽しんでいます」。宿泊は『1棟貸し』。まるごと家を借りられ、我が家のようにリラックスして過ごせる魅力は大きい。
     13歳で家を離れ、自分の興味エネルギーのままに動いてきた。「ふりきった、かなぁ、ですね」。10代からの歩みは相当な振れ幅の時間。まだ振れは続いているようだ。「来年は、ここに居ないかもしれませんねぇ」、冗談の笑顔は、まだエネルギーでいっぱいだ。
    ◆バトンタッチします。
     「神内隆伍さん」

    2024年4月6日号